スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

穏やかな一日

私の勤務の仕方は、担当校6校のうち2校を拠点校とし、

拠点校には週に1回朝から夕方まで勤務します。

そして、それ以外の4校は、依頼を受けて勤務する形としています。

拠点校から勤務日以外に依頼があった時にも勤務しますので、

週に2回しか勤務しない日もあれば、5回勤務になったり、

場合によっては土曜日や日曜日、夜に勤務ということもあります。

依頼がある場合の勤務は、何をするかがはっきりしています。

ケース会議に出席、お子さんや保護者さんとの面談、お子さんの観察と助言、

などです。

拠点校ですと、上記のようなことがある日もあればない日もあります。

学校に到着して荷物を片付ける間もなく教頭先生に矢継ぎ早に状況説明され、

トイレに行く間もなくお子さんの対応を次々にしなければならない日もあれば、

到着してしばらくしてから「いらしてくれてたんですね~。」と声を掛けられる日もあります。

 

その日は後者の日でした。

私は、スクールソーシャルワーカー(以下SSW)の仕事は消防士さんに似ていると思っています。

何事かあったときにはいてくれて助かる、でも、日常生活が送れているときはいなくて大丈夫、そんな存在なのかな?と。

私を必要としない日は穏やかな日常が送られている良い日だって思っちゃいます。

なので、勤務を終えた帰り際、校長先生にご挨拶させていただくとき、

「今日は穏やかで良かったです。」

と、学校内の穏やかさをお伝えしたつもりでいたのですが、

「そうだね~、今日は眠くなっちゃうような陽気でしたよね~。」

と返ってきて一瞬戸惑いましたが、

「あ!気候のことだと思われてしまった!」

と気付きました。聴くことは得意ですが、伝えるのは苦手です。

次回はちゃんと主語を付けてお伝えしようと反省しました。

 

 

 

夜中のオンラインゲーム=その子の強み

校内研修の講師もスクールソーシャルワーカー(以下SSW)の仕事の一つです。

今回は生徒指導研修をスクールカウンセラー(以下SC)と協働で行いました。

 

事例を読み、4、5名のグループで、

①学校内での問題、気になる事柄

②子どもの長所・強み

③考えられる問題の背景・要因

④支援方法

を話し合いました。

話し合いの間、SSWとSC、管理職は、机間巡視をしていました。

教員はできないことをできるようにさせることに焦点がいきがちです。

強みや長所、つまり、できているところを見つけるのに苦慮されていました。

ですので、SSWから、「強みも出し合ってもらえますか?」

とお声をかけさせていただいていました。

その一方で、思わず涙ぐんだ「強み」を語ってくださる先生がいらっしゃいました。

「夏休み、昼間にではなく夜中に知らない大人とオンラインゲームができるって、

自分の心地よい居場所を見つける力があるって思うんですよね、

もちろん、オンラインゲームって(教員から見たら)適切ではないけど、

でも、(自分の居場所を)見つけられる力はあるって思うんです。」

先生たちなら「けしからん」としか見ないような部分を強みとしてみてくださる、

福祉職としては心からありがたく思い、

この班に発表してもらうことでSCと合意していました。

 

ところが、マスクのせいか、発表する班を聞き間違えられてしまい、

その強みをシェアすることができませんでした。

なので、最後のまとめでこのことを価値づけよう!

と慌ててメモしてそのつもりでいたのに、おわりの時間が迫っていることが気になり、

結局せっかくの素晴らしい視点をシェアできずに研修を終えてしまいました。

研修後、その先生に強みの視点をシェアしてほしかったこと、

その視点は福祉的に素晴らしいことをお伝えしましたが、

「あぁ~あの変な意見ですみません。」と恐縮され、自信なさげな表情でした。

 

そして、今思うのは、その時ではなかったのかもしれない、ということ。

あの強みをシェアして、どれだけの先生が理解できたのか、納得できたのか、

と考えたとき、時期尚早だったのかもしれない、とも思えてきました。

しかし、こういった福祉的な視点は、今後必要な視点だと思っています。

だからSSWが公費で雇われているのだと思っています。

福祉的に見たとき、誰とも繋がりがない「孤独」が一番心配な状況です。

誰かに繋がり「一人にしない」ことはとても大切な視点です。

このようなことが理解されるために、

まずはSSWとしての実績を粛々と積み重ねることを頑張ろうと、

気持ちを新たにしました。

 

寄り添える教員である娘(親バカです)

最近「寄り添う」という言葉をよく耳にします。

私たちスクールソーシャルワーカー(以下SSW)は寄り添いのプロだと自負しています。

 

例えば、登校を渋るお子さんに対し、

先生たちのほとんどは登校させるにはどうしたらいいかを考え行動します。

ですので、「学校来いよ。」や「教室行こうよ。」という声掛けになりがちです。

一方、私たちSSWは、そのお子さんがどうしたいかを尋ね、

本当の気持ちや考えを知り、保護者や先生たちからも情報を得て、

そのお子さんの『最善の利益』のある選択を一緒に考えます。

なので、場合によっては「学校へ行かなくてもいいよ。」

と声をかけることもあります。

「寄り添う」は「一緒に考える」ってことも一つかと思っています。

 

私の娘は教員をしています。

勤務校に保健室登校するお子さんがいるそうで、

やはり、先生たちのほとんどは教室へ行くよう声をかけているようでした。

娘も少し前までは他の先生と同じような声掛けをしていたそうです。

でも、それに疑問を持ち、その日は教室へ行くことを促さず、

そのお子さんの思いや考えを聞き、肯定的に話を聴き、一緒に考えたそうなんです。

将来「銀○こ」で働きたいと思っていてよくたこ焼きを焼いていること、

だから、勉強に関心を持てないことを話してくれたようです。

娘は、「将来の夢があるなんてすごい!」とその夢を認め、

それが実現するにはどうしたらいいかを一緒に考え、

その子さんは高卒認定はほしいことがわかり、それなら基礎だけ勉強し、

テストも基礎だけは正解するようにがんばれば良いのでは?と伝えたようです。

そして、もし、さらにその先自分でたこ焼き屋を経営したい、となったら、

経営の勉強が必要になってくるかもね、と伝え、

するとその子さんは、「じゃあ、大学、経済学部かな?」と答えたそうなんです。

そして娘は「大学に行けば選択肢は広がるよね。」と伝えたようなんです。

こういったやり取りを聞き、それだけでSSWの私としては、

「寄り添う」ことのできる教員である娘のすばらしさに目頭を熱くしていたのに、

さらに自分の挫折した話もしていたのでした。

親の都合で小6の秋に転校し、それまではなんでもできる子という扱いだったのに、

転校後は何もできない子として扱われ、娘は中1くらいまで荒れていました。

そのときのことを話したそうなんです。

そのお子さんにとっては励みになる話となったと思います。

親である私としては、娘が辛かった過去を乗り越えたから言語化することができ、

お子さんに伝えられたんだと解釈し、娘の成長に思わず泣きそうになりました。

そして、「あなたきっとイイ先生になるよ!母、孫は諦めた!先生として頑張れ!」

と娘に言うと、「いやいや、そこ諦めなくていいから、私が諦めたくないし。」と、

これも親としてはありがたい答えが返ってきました。

 

きっと、若い先生たちは可塑性が高く、

どんどん寄り添える先生に変われるんだと思います。

寄り添える先生が増えることで、

学校における子どもたちの居心地は良くなると思うのです。

自分の勤務する若い先生たちと協働することで、

子どもたちの環境をさらに良くしていきたい思いでいます。