保護者さんを交えた支援会議を終え、タイミングを見計らい、
校長先生に参加させていただいたお礼とねぎらいの言葉をお伝えしました。
そのまま立ち話で会議の振り返りとなり、校長先生は、
「私は100%お母さんを信用できない。」
と本音をお伝えしてくださいました。
これは、全面的に信用できない、という意味ではなく、
まだ信用できない部分もある、という意味でおっしゃった言葉のようでした。
「校長先生、お母さんへのまなざしが厳しいなぁ・・・。」
というのが、私の率直な思いです。
しかし、この厳しいまなざしが校長先生の役割だとも思っています。
事情のあるお子さんに対し先生方には温かなまなざしで見ていただきたいと思っています。
その一方で、教育者として厳しさも持っていていただけることが必要だと思うのです。
会議中も、校長先生は優しく聴く、というよりは、
どちらかというと難しい表情で話を聴いていらっしゃいました。
ほとんど言葉を発さず、最後に教頭先生が校長先生から話してくださるよう促すと、
お母さんの立場を思いやり、母親として頑張っていることを認め、
ともに頑張っていきましょう、といったことをお話しくださいました。
ですので、始めに書いたようなことをお考えだったとは全く気づきませんでした。
教頭先生は会議中ずっと温かな寄り添う声掛けをお母さんにしてくださっていると感じました。
支援の方向性は同じに、でも、関わり方には違いがあると思っています。
担任だけに負担が偏ることを防ぐためにこういった会議は有効です。
この学校では頻繁に開いていただけていてありがたく思っています。
先日受講した講座で、
うつ病と診断され休みがちだが休みの日は元気に遊んでいる、
といった部下の行動にずっと我慢していた上司が、
堪忍袋の緒が切れて叱責したところ普通に会社に出勤できるようになった、
といった事例が紹介されました。
こういった対応はもろ刃の剣ではあると思います。
しかし、タイミングを見計らい、時には厳しい働きかけが功をなすことを私も経験しています。
今回のケースはもう3年以上不登校、
数か月前から外出もできなくなってきているとのこと、
病院にもつながっておらず、
私としてはかなり心配でどこかにつなぎたい思いが強いです。
見守る姿勢が固定化しているこのご家庭にどうやって働きかけていくのか、
校長先生の厳しい視点を借りて、
子ども家庭課や児童相談所にも会議に参加してもらうなどして、
介入的に関わってもらうのも一つかと思っています。