スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

自由な感情表現としての保護者の涙

 車を降りないAさん

その日、Aさんは車でお母さんに学校に連れてきてもらったものの、

車からは降りようとはしなかったようです。

Aさんのお宅の車の横にお母さんと数名の先生がいらっしゃいました。

それに気づいてすぐ、私はAさんの車へ向かいました。

すると、私が車に到着する前に車から降りてきたAさん。

あら、なんだ降りられた、私出てこなくても良かったかな?

余計な行動してしまったかも、と思っていました。

お母さんの涙

Aさんが先生たちと校舎内に入った後、お母さんは、

「Aはヒロさんの姿を見たら車からすっと降りて・・・ありがとうございます!

Aはヒロさんが大好きみたいで・・・やだ、涙出ちゃう・・・」

と涙をこぼしながら話してくださいました。

私も涙がこぼれそうになり、

「やだ~、お母さん!私は嬉しくて泣いちゃいそう!」

と言い、その後お母さんはいろいろと状況などを話してくださいました。

そして、「少しすっきりしました。」とおっしゃってくださいました。

 自由な感情表現を受容する

私は保護者さんが涙する場面に出合うことがあります。

その涙は単純な感情からではなく、

おそらくいろいろな大変さで心がパンクしそうになっているため、

自己防衛反応的な涙ではないかと推察しています。

そして、私も涙がこぼれそうになります。

これは私が共感性が高いからです。

共感性は訓練して高めることもできるのでしょうけれど、

私の場合生まれ持ったものかな、と思っています。

これは、対人支援職としては強みではありますが、冷静さは必要です。

涙がこぼれそうな自分にいち早く気づき、気持ちをニュートラルに持っていく、

その技術は専門職として当然持つスキルです。

もし、私が勢いに任せて涙をぼろぼろこぼしたならば、

泣きたいはずの保護者が泣けなくなる、なんてことにもなりかねない、

つまり、クライエントの自由な感情表現を妨げてしまうと思うのです。

クライエントの自由な感情表現を認める場づくりも

スクールソーシャルワーカーの専門性だと思っています。