スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

先生の表情が変わるときが好き

親は子育てのプロではない

A先生は不登校のBさんのお母さんの養育力の低さが気がかりで、

お母さんにがんばってもらいたいようでした。

それに対し私は、

先生方は皆、子ども達のより良い成長を願い動いてくださるプロだけれど、

親たちはプロではないし、なりたくないのになってしまった人もいるだろうし、

そうなると、子育てに前向きになれない、うまくできない、ということもあり、

また、いろいろな能力が低い親もいる中で子どもは親を選べない、

能力の低い親の元に生まれたくて生まれたわけではない、

ぜひ、A先生がBさんに親身になってやってほしい、

といったようなことをお話しさせてもらいました。

するとA先生の表情は穏やかな表情に変わり、

「Bさんの親になったつもりで話をしていこうと思います。」

とおしゃってくださいました。

先生たちの価値観の違い

C先生は、教室に入れない子の傍若無人な行動に

嫌悪感を示す先生がいらっしゃって、

そういった先生たちにこういったお子さんをどうしたら理解してもらえるのか、

といったことで悩んでいらっしゃいました。

それに対し私は、

理解してもらうのは難しいと思います。

先生方には積み上げてきたそれぞれの思いがありますから。

だからりかいしてもらわなくてもいいし、

先生たちの思いはそれぞれでいいんですよ。

行動だけ変えてもらえばいいんです。

行動を変えるだけなら先生たちならできます。

それだけで子どもの環境は変わり、子ども達の学校での居心地は良くなります。

といったようなことをお伝えしました。

すると、C先生は、

「なるほどね!いや~ひろさんに出会えてよかった!」

と数分前までの暗い表情が嘘のように明るい表情になったのでした。

先生の変化が私の幸せ

これらのように、先生たちの困り感に寄り添うことも業務の一つであり、

これは、かっこよく言うと「コンサルティング」です。

私と話すことで硬かった先生の表情が柔らかく変化する、

こんな素敵な場面に出会えるこの仕事が私はとっても好きです。

この仕事にもっと早く出逢いたかったとまで思いますし、

健康に気を付けてできるだけ長く続けたいとも思っています。

 

 

 

 

 

 

ストレス解消がみつからない子

教室に入れない子のための部屋

私が勤務する学校には教室に入れない子のための部屋があります。

その部屋にいる子どもたちと仲良くなってほしい、と、校長先生に言われているので、

面談等入っていないときは顔を出すようにしています。

人は接触回数が多いと親近感が増すようなので、

できるだけ顔を見せて、まずは見たことある人になるようにしていました。

それが功を成したのか、ある日部屋へ行き椅子に腰をおろすやいなや、

Aさんが「話したい。」と言って私のところへやってきました。

先生も聞いてもらった方がいい、とおっしゃってくださり、

授業中でしたが話を聴くことになりました。

Aさんのイライラ

Aさんとそれほど仲良くなったつもりではなかったので、

突然のことでびっくりし、いったい何を話したいんだろう?

とちょっと身構えて話を聴き始めると、まずは「イライラする話」を次々と、

そして、そのイライラを解消する方法がないことを話してくれました。

結局のところ、弟に対するイライラが一番、

母親に対してと父親に対してはイライラと言うより不満があるようでした。

弟については、ゲームで対戦し、負けてあげるとあおってくる、

勝つと泣いて叩いてくる、叩き返すとけんかになって自分だけが怒られる、

ゲームがストレス解消の一つなのにこれじゃあストレス解消にならない!

と、早口で怒り口調で話してくれたのでした。

また、もう一つのストレス解消がゲームのプログラミングだったようなんですが、

そのサイトに入れなくなってしまったそうなんです。

いつからか制限がかかるようになったとのことでした。

SSWからの提案

Aさんだけ怒られるのは、兄弟差別と言えます。

広い意味では心理的虐待であり、確実に不適切養育です。

なので、「お母さんに、Aさんだけ怒るのはやめてあげてください、

って言ってあげられるよ。」と伝えたのですが、

「それはしなくていい」との返事でした。

プログラミングのサイトの件は、

そのサイト以外にゲームのぷろぐらみんぐができるさいとないか調べるね、

を伝えたら、それはOKでした。

話し終えた後

結局授業1時間分Aさんの話を聴いてしまいました。

話し始めはかなりイライラした口調でしたが、

1時間たったころには口調もずいぶん穏やかになっていました。

やはり、話すことは癒しになるんだな、を実感しました。

しかし、本人はそれを認めていませんでした。

自分の心の状態を客観視するのは小学生には難しいのかもしれません。

自分の思いが何なのか気づくことが、心理的に穏やかに過ごすためには必要です。

それを一緒に探すこともAさんが穏やかに過ごすために必要だと思っています。

 

 

心理的虐待を受けた子の理解と支援

お腹にいるときからDV

Aさんの母親は、夫から経済的締め付けや暴言暴力がある上、

ワンオペ育児を強いられていました。

それは、Aさんがお腹にいたころからだと言います。

その後、性行為の強要もあり、結局離れられないまま後に二人の子を産みました。

3人の子の育児はそれだけでも大変です。

その上、DV、ワンオペ育児で何も考えられなくなっており、

自分が我慢すればいい、と思っていたとのことでした。

Aさんが幼児の時に離婚ができ、実家暮らしにはなりました。

そんなころから暴力が出始め、その後、

Aさんの母親は実家を出て4人で暮らすことにしました。

その方がAさんの暴力が収まると考えたからです。

しかし、Aさんは暴力は変わらないどころかエスカレートしていったのでした。

DVによる2度の離婚

Bさんの母親はBさんの下の子が生まれたころBさんの実の父親と離婚しました。

DVがあったからでした。

その後、再婚したパートナーからもDVを受け、

Bさんはその光景を目の当たりにしていたのでした。

この暴力に対し警察沙汰になったことで児童相談所がかかわることになり、

再婚したパートナーとの離婚が決まり、母子3人での暮らしとなりました。

そんなころ、Bさんは教室に入れなくなってしまいました。

暴力が日常の子ども

AさんもBさんも、人生の半分以上心理的虐待を受けていると言えます。

そして、虐待の環境でなくなったことで緊張の糸が切れ表れが変化したと推察します。

AさんもBさんも緊張を強いられる生活が日常で、

いつ何が起こるかわからない不安定な状況の中、

常に交感神経が高ぶった生活を強いられていたのだと思います。

人は本来、交感神経と副交感神経をバランスよく使って生活しています。

それが、虐待がなくなった環境下でも

常に交感神経が高まりっぱなしになってしまっているのだと思います。

そのため、ちょっとしたことで、自分を守るための暴力となったり、

自分を守るためにその場から逃げてしまったり、という行動になるのだと思います。

心理的虐待の子への理解と支援

心理的虐待を受けたお子さんは、

この辛い状況をお変えることができない日々を生きていくうちに、

自分じゃなんともならない、と、

学習性無力感を日々強化させられていたと推察します。

その部分は、その子に関わる大人が書き換えていくことができると思っています。

辛い状況の中なんとか生きてきたその子の辛さを理解し、ケアの視点を持つこと、

それを教員に理解してもらうことの難しさを感じることがあります。

なぜなら、先生たちのほとんどは恵まれた家庭で育っていますし、

学校への肯定的な思いがある方がほとんどだからです。

AさんにしてもBさんにしても、

こういった表れの時に一般的な家庭で育っているお子さんと同じことを強いると、

関係性が悪化します。

まずはほぼ全てを受け入れ、行動が軟化するのを待つことが必要だと思うのです。

Bさんは別室登校してくれています。

そのBさんに何かさせようとするのではなく、

「どうしたい?」を一つ一つききながら、

自分の人生は自分で決めていいんだ、を体感させ、

今まで積み重ねてきてしまった無力感を少しずつ減らしていく、

それが必要と言うことを先生たちに理解してもらうためにできることを考えたいです。