スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

心理的虐待を受けた子の理解と支援

お腹にいるときからDV

Aさんの母親は、夫から経済的締め付けや暴言暴力がある上、

ワンオペ育児を強いられていました。

それは、Aさんがお腹にいたころからだと言います。

その後、性行為の強要もあり、結局離れられないまま後に二人の子を産みました。

3人の子の育児はそれだけでも大変です。

その上、DV、ワンオペ育児で何も考えられなくなっており、

自分が我慢すればいい、と思っていたとのことでした。

Aさんが幼児の時に離婚ができ、実家暮らしにはなりました。

そんなころから暴力が出始め、その後、

Aさんの母親は実家を出て4人で暮らすことにしました。

その方がAさんの暴力が収まると考えたからです。

しかし、Aさんは暴力は変わらないどころかエスカレートしていったのでした。

DVによる2度の離婚

Bさんの母親はBさんの下の子が生まれたころBさんの実の父親と離婚しました。

DVがあったからでした。

その後、再婚したパートナーからもDVを受け、

Bさんはその光景を目の当たりにしていたのでした。

この暴力に対し警察沙汰になったことで児童相談所がかかわることになり、

再婚したパートナーとの離婚が決まり、母子3人での暮らしとなりました。

そんなころ、Bさんは教室に入れなくなってしまいました。

暴力が日常の子ども

AさんもBさんも、人生の半分以上心理的虐待を受けていると言えます。

そして、虐待の環境でなくなったことで緊張の糸が切れ表れが変化したと推察します。

AさんもBさんも緊張を強いられる生活が日常で、

いつ何が起こるかわからない不安定な状況の中、

常に交感神経が高ぶった生活を強いられていたのだと思います。

人は本来、交感神経と副交感神経をバランスよく使って生活しています。

それが、虐待がなくなった環境下でも

常に交感神経が高まりっぱなしになってしまっているのだと思います。

そのため、ちょっとしたことで、自分を守るための暴力となったり、

自分を守るためにその場から逃げてしまったり、という行動になるのだと思います。

心理的虐待の子への理解と支援

心理的虐待を受けたお子さんは、

この辛い状況をお変えることができない日々を生きていくうちに、

自分じゃなんともならない、と、

学習性無力感を日々強化させられていたと推察します。

その部分は、その子に関わる大人が書き換えていくことができると思っています。

辛い状況の中なんとか生きてきたその子の辛さを理解し、ケアの視点を持つこと、

それを教員に理解してもらうことの難しさを感じることがあります。

なぜなら、先生たちのほとんどは恵まれた家庭で育っていますし、

学校への肯定的な思いがある方がほとんどだからです。

AさんにしてもBさんにしても、

こういった表れの時に一般的な家庭で育っているお子さんと同じことを強いると、

関係性が悪化します。

まずはほぼ全てを受け入れ、行動が軟化するのを待つことが必要だと思うのです。

Bさんは別室登校してくれています。

そのBさんに何かさせようとするのではなく、

「どうしたい?」を一つ一つききながら、

自分の人生は自分で決めていいんだ、を体感させ、

今まで積み重ねてきてしまった無力感を少しずつ減らしていく、

それが必要と言うことを先生たちに理解してもらうためにできることを考えたいです。