スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

自殺対策研修の講師

私は二つの自治体のスクールソーシャルワーカー(以下SSW)です。

それが今回の講師の決め手となったようです。

この二つの自治体は○○圏域として一まとまりとなっているようで、

両方の自治体の実際の子どもの様子をよく知る人を講師としたかったようでした。

私と同じ立場のSSWはほかにもいたのだけど、

主催者と面識があった私が選ばれたということでした。

顔をあわせておくって大事だな、と改めて思いました。

 

私はこの依頼を受けたとき、ありがたいと思った一方で、

まだ児童福祉7年目の私が引き受けてよいものかとの迷いもありました。

ただ、参加者に教育関係がいるということを知り、

また、医療関係、福祉関係、いろんな関係機関に

SSWを知ってもらえるよい機会にもなるんじゃないか、

とも思い、本来は自殺対策をお伝えすることがメインではあるのだけど、

自分としてはSSWの宣伝活動の一つとして引き受けることにしたのでした。

 

蓋を開けてみると、A市の教職員の参加はゼロ、B市も数名でした。

それでも、A市は教育委員会の指導主事が来てくれて、

この話を聴けて良かった、との感想をもらえたのは、

きっと社交辞令だとわかってはいてもうれしく思いました。

また、A市の指導主事は、教員の参加がゼロと言うのは今後の課題、

ともおっしゃってくださって、心強い思いにもなりました。

 

おそらく、私が研修講師に選ばれるのは最初で最後。

きっと、いろんなお立場の方が講師をされることで、

知識を増やしていくことが主催者の狙いだと思うのです。

でも、もしかしたら、今回の参加者さんがどこかで呼んでくれるかも?

との期待もあったりします。

 

この研修で伝えたかったことの一番は、

「生きていることがつらい子を大人が見つけて!」

「見つけたら、その子の話を聴いてあげて!」

「子どもは本当は生きたいはず、子どもの生きたいを信じて!」

この三つ。

私は文科の「SOSの出し方教育推進」に疑問を持つ一人です。

これを否定はしません。その部分も大事です。

でも、特に自殺に関しては、

SOSを待っていたら子どもは死んでしまうと思うのです。

 

実際、私が間接的にかかわっていたお子さんが自殺を試みてしまったのです。

一命をとりとめたから良かったですが、

私はかかわった一人の大人として責任を感じています。

見つけようとしなかったことを。

自戒の念を込めて、「見つける!」はやっていかなきゃいけない、

もっとおせっかいになろうと思ったことを

この研修のおかげで思い出すことができました。

先生へ子どもの思いを代弁

子どもの権利が守られているか

世界中の子どもたちすべてが持つ権利として

子どもの権利条約」は1989年に国連で採択されました。

日本は1994年に批准しています。

「子どもの権利」には四つの原則があります。

・守られる権利

・意見を表明する権利

・子どもの最善の利益

・差別の禁止

です。

私たちスクールソーシャルワーカー(以下SSW)は、

この権利が守られているか、を意識して活動しています。

活動の一つに、校内巡視があります。

その目的はこれら権利が守られているか、です。

Aさんの不満を代弁

ある日の授業中、Aさんが私のところにやってきました。

どうしたの?ときくと、なんでもない、と言います。

担任のところへノートを提出した後にそのまま私のところへ来たので

先生と何かあった?と質問を変えました。

すると、涙をためて先生への不満を口にしました。

私は、Aさんが嫌だったのならそれは先生に伝えていい、

自分で伝えらえないなら代わりに伝えることもできるし、

一緒に伝えに行くこともできる、と話しました。

すると、自分で伝えるを選択したのでした。

数日後、その後が気になりAさんに声をかけました。

すると、伝えたけど、また同じことをされた、とのことでした。

だから、今度はSSWから話してほしい、とのことで担任に伝えると、

その後は担任はそれをやらなくなったようでした。

Bさんの言いたいことを代弁

Bさんは廊下で怒りを表出していました。

支援員さんがなだめていたのですが収まらない様子。

私がBさんの話を聴くことにしました。

Bさんは思い通りにならないと暴言暴力が出てしまうお子さんです。

でも、言語化することで落ち着くと信じて語りかけると、

だんだん言葉になってきます。

今回は何が気に入らないかを既に担任の先生に伝えたのだけどきいてもらえない!

と怒っていました。

伝わってないのかもだから、もう一回自分で言いに行くか、

私と一緒にもう一回言いに行くか、代わりに私が行くか、どれがいいか聞くと、

私に代わりに言ってほしい、とのこと。

言いに行くと、すぐ、Bさんがしてほしいことをやってくれたのは良かったけど、

なんで私が言ったときにはやってくれなくて、SSWさんが言ったらやるんだ!

と、怒ってしまいました。

それをなんとかなだめて教室に入ってもらったのでした。

子ども差別

二つの事例の共通点は、「差別」だと思うんです。

子どもの言うことはきかない、

でも、同じことをSSWが伝えると聞いてくれる、

これって、子どもを下に見て、SSWを上に見ていると受け取れると思うのです。

できないなら、SSWにもできないと言えばいいし、

でも、私はそれが子どもの最善の利益になっていないなら

とことん代弁するのだけど。

先生が子どもを差別せず、権利のある一人の人として対話すれば、

私の「代弁」という仕事は減るのにな、と思うし、

その方が、子ども達にとって安心できる学校になると思うのだけど。

と、ちょっと愚痴めいたブログになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

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それでも学校を変えたい!

子どもは親や家庭を選べない

私のスクールソーシャルワーカーとしての一番の目標は、

「すべての子どもたちが幸せであること」です。

そして、学校は幸せになるために様々な力をつけられる場所だと思っています。

残念ながら、子どもは親や家庭を選ぶことができません。

障害を持った親の元に生まれる子、

精神疾患を患っている親の元に生まれる子、

そもそも子どもが好きでない親の元に生まれた子、

望まない妊娠で生まれた子、

経済的に苦しい家庭に生まれた子、

暴言暴力が日常の家庭に生まれた子、

その子たちが「その子らしい幸せ」をつかむためには、

家庭だけでは難しくなってしまうのです。

親代わりと出会える場所

その子さんをわが子のように思ってくれる、

親身になってくれる大人に出会うこと、

良い仲間に巡り合えること、

その子の幸せのためにはそういった人々とのつながりが必要です。

そのつながりが作りやすいのが、子ども全員が行く権利を持つ学校なのです。

学校は教育機関です。

親を反面教師にできるくらいの力をつけることができる場所です。

良い大人の見本が多くいる場所なのです。

だから、行ける子は学校に行ってほしいのです。

もちろん、何らかの事情で行かない選択をする家庭や子どもを

否定するつもりはありません。

死にたくなるくらい、病気になってしまうくらいしんどい時は

行く必要はないと思います。

学校の可能性にかける

何らかの事情はいろいろあり、防げるものもあると考えます。

例えば、先生たちが当然と思ってしている指導が

人権侵害になっていると感じる場に遭遇することもあります。

そのせいで不適応を起こしているお子さんに出会ったこともあります。

だから私は学校を内側から変えたいのです。

教室に入れない子のための別室を作りたいし、

教員の不適切指導を子どもの人権んが守られた対応に変えてほしいし、

先生たちの疲労を軽減し子ども達と笑顔で過ごしてほしい、

そんなことを思いながらスクールソーシャルワーカーとして活動しています。

子どもについて語り合う会に参加されていた学校の先生が

「学校を変えるのは難しい、子どもを預かってくれてるだけいい、

教育は外でやればいい」

といったようなことをおっしゃっていましたが私はあきらめたくないのです。

学校は教育の場であるし、

先生たちには教育のプロフェッショナルとしての自負をもってほしい、

先生たちは多かれ少なかれ子どもを成長させたい思いはあり、

先にあげた親たちよりはるかに子どもをよりよく成長させることができる人材です。

この力を活かさない手はないのです。

学校を内側から変えたい思いのある先生を見つけてつながり、

そんな先生をエンパワメントし、少しずつ学校を変えていこうとする活動を

あきらめず続けたい思いでいます。