スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

「死にたい」という小学校低学年

 

 

死にたいという小学生

「死にたい・・・」

私はこの言葉をお子さんから直接聞くことがあります。

それも小学校低学年です。

「死ぬ」という言葉が昔に比べ軽いものとなっているのかもしれないし、

死ぬということの意味がわかっていないからこの言葉を使うのかもしれません。

「死にたい」は「これ以上ない辛さの中で生きている」という訴えなのだと思います。

そしてそれは、何かものすごくインパクトの強い出来事の後、というよりも、日々の小さな辛さが積もり積もって、もうだめだ、とぺしゃんとつぶれてしまう感じではないかと想像します。

小学校低学年なので、「死にたい」を実際の行動にうつすことは考えにくいですが、丁寧な対応は必要かと思います。

本当は寂しい

その日、私は校内巡視をしていました。

すると、授業中なのに廊下に出ているお子さんを見つけました。

「一人で寂しくない?」と私が声をかけると、「うん。」と答えてくれました。

廊下にはいるけど、授業には部分的に参加していました。

私はこのお子さんがなぜ廊下で過ごしているかを知っていましたので、「他の教室も見に行くね。」と立ち去ろうとすると、「だめ。」と言うのです。

寂しくないと言っていましたが、やはり本当は寂しいのだと思います。本当は寂しい、ということに本人は気づいていないのかもしれません。

本人が気づいていない思いを見つけ出すのもスクールソーシャルワーカー(以下SSW)の業務の一つだと思っています。

私は一緒に居ることにしました。

そして、一緒に過ごしているうちに出てきた言葉が「死にたい・・・」でした。

理由を尋ねましたがダイレクトな答えはなく、おそらく学校も学童も家庭もしんどいんだな、というのが、お子さんとの会話の中での推測です。

この言葉を聞いたことを生徒指導主任に伝え、担任の先生にも伝えました。

すると、「死にたい」と口にしたのは初めてだということでした。

死にたいぐらいの辛さを聴ける存在

実は、私は思春期の頃「死んじゃおうかな」と思ったことがあります。

その経験から思うのは、「弱音を吐ける人がいない」と「死にたい」になるように思うのです。

私は中学の時、クラスでも一人、登下校も一人、部活にもなじめず、学校で孤独だった時期がありました。

家庭は、そんな辛さを吐き出せるような包容力はなく、父の姿はほぼ見ることがない、母は弟たちを可愛がり、自分は怒られてばかりでした。

そんな母に相談する気が起きるわけがありません。

死ねばみんな悲しんでくれるかな?と考えをよぎったのは、私に辛さを聞いてくれる人が居なかったことだと思うのです。

そして、私が死ななかったのは、その頃既に「死」の意味をよく理解していたし、祖母が戦争時代にギリギリのところで生き延びてきた話をしてくれていたこと、担任の先生とは良い関係だったことなどが影響しているように思います。

SSWとして、お子さんたちが、死にたいぐらい辛い思いを吐き出せる存在でいたいと思い、校内巡視をしています。

ただ、私がつながれるのはほんの一握り。

日々一緒に過ごす先生方が死にたいぐらい辛い思いを聴ける存在になってくれるとありがたいと思っています。