スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

子どもの声を聴く

山下氏の考え

スクールソーシャルワークの活動を日本で最初に始めたのは山下英三郎氏(以下山下氏)です。

ご本人が『居場所とスクールソーシャルワーク』と言う本の中で「1988年ごろ」とおっしゃっています。

また、山下氏はスクールソーシャルワークが広がるのに10年くらいかかるだろうと思っていたとのことですが、実際に文部科学省が事業として始めたのは2008年、つまり20年かかってやっとスタート地点だったのでした。

そして、山下氏がスクールソーシャルワークをする上で大事にしていることの一つに、「子どもに会って子ども自身の声を聴く」だとおっしゃっています。

実際のところ

では、私は声が聴けているのか、というと、最近は聴けていないことが多いのが現状です。

スクールソーシャルワーカー(以下SSWr)になりたての頃はケースワークが中心で、子どもや保護者との面談が多かったのでした。

そして、今では会議の参加や教員の困り感を聴いて助言するなど、間接的な支援が増えてきました。

『居場所とスクールソーシャルワーク』を久々に読み返すまでは、これは自分がSSWrとして成長したからだと思っていました。

間接的な支援は、学校に福祉の視点を入れることに役立つと考えていたからです。

SSWrの勤務時間は多いとは言えません。有効活用するためには、教員が教員でできることはやっていけるようエンパワメントすることも私たちの活動の一つと思っています。

教室に入らない子の対応

A校でのとある勤務日、その日は面談等がなくゆったりと校内を見て回っていました。

すると、授業開始の時間のはずなのに低学年のBさんが廊下で足を伸ばして座り込み、担任の先生は教室に入るよう説得しているところでした。

その間、教室内のお子さんたちは授業が始まるのを待つしかありません。

私は担任の先生に「私が対応しましょうか?」とお尋ねし、「ではお願いします。」と言われ、Bさんの対応をすることにしました。

この私の行動は、一見支援員さんのように見えると思います。ですが、私としては、教室内のお子さんの学習の権利が脅かされてるこの状況の改善と、Bさんの表れの背景を知り今後の支援に役立てるためにBさんの声を聴くという目的を持って、対応することにしたのでした。

Bさんの声を聴く

Bさんと私はこのとき初対面に近い関係でした。私はA校には週に1回勤務し、毎週ではないけれど校内を回っているので、私を見たことがある可能性はあります。

しかし、私はBさんのことをほぼ知らなかったのでした。

知らないおばさんが質問攻めにしたところできっといい関係は作れないと予想します。

なので、とりあえず、何も話さずBさんの隣に座り、話してくれるのを待っていました。

しばらくすると、Bさんはいろいろ話してくれました。

学校が嫌、と言い、その理由も話してくれました。そして、兄弟に会いたい、おうちに帰りたい、と言って涙をポロリとこぼしていたのでした。

私はスクールソーシャルワーカーとして、Bさんが涙をこぼせたたこと、帰りたいと思える家庭があることに安心したのでした。