「私は講師の話に納得いきません。」
担当校で、いじめに関する授業が行われた感想として書かれた言葉です。
その授業は、外部講師によって行われたものでした。
「もう悪ふざけはしません。」
担当校で、悪ふざけをいじめと捉えられ、加害者となってしまった生徒の言葉です。
しかしその生徒は、その言葉を発したおおよそ2か月後、タガが外れ始めています。
教育的視点から見たら、「この二人の生徒を指導しなければ」と考えるのかもしれません。
そして、福祉的視点では、「二人がいじめをしなければよし」と考えます。
福祉的視点は、良い意味で諦める、それは見捨てることとは違いますし、
指導しないことを善としているわけでもありません。
長いスパンで彼らを見ているのです。
その生徒自身が、自分の思考や自分の行動を正すことに力を注げる時期を待つ、
つまり、今その時期ではないのなら、今の状態を支える、という考えです。
いつかきっと、自分の思考の間違いや行動の間違いに気づくと信じて次に託す、
そういった視点を教育現場に届けるのもスクールソーシャルワーカーの仕事の一つと考えています。