私はもともと小学校の教員になることが夢でした。
子どもが好き、勉強を教えるのが好き、何より学校というところが大好きで、
その気持ちは子どもの頃からずっと変わりません。
なんでこんなに学校が好きなんだろう?と振り返りわかったこと。
それは、学校で出会う人々に恵まれていたからなんだと、
スクールソーシャルワーカー(以下SSW)の仕事に関心を持ったことで気づきました。
なので、ごく最近(注1)です。
教育力のない家庭で育った私(注2)でしたので、
学校は、私が健全に育つ上で重要な環境だったのです。
学校のおかげでそれなりの大人になれたと感謝もしています。
もちろん、友達関係で悩んだり、
勉強が難しいとへこんだりという経験はあったけど、
それ以上に得るものが大きかったのが私にとっての学校です。
SSWとして子どもたちと接するとき、
それは、子どもがなんらかのつまずき体験の真っ最中です。
私はその子の話を聞いたり、見守ったりしながらその子を支援します。
子どもも、支えられている、という意識があるようで、
視線が合うとペコっとお辞儀をしたりしてくれます。
そして、それはずっと続くものではなく、終わりが来ます。
目が合う回数が減る、お辞儀をしなくなる、子どもに笑顔が増え、
授業中SSWが見に行っても気づかない、子どもの行動は変化していきます。
これをお読みの皆さまは、この変化をどのように捉えますか?
SSWの私は、その子が『日常を取り戻した』と捉えます。
そして、私の直接支援はとりあえずひと段落、と考えます。
こうなった時、私とのことは記憶に残らない方が良いと思っています。
嫌な記憶は残さない方が精神衛生上良いと思うのです。
『忘れる』は勉強においてはマイナスかもしれません。
しかし、生きていく上では『忘れる』ことは大事なスキルだと思っています。
私のことは忘れてしまっても、
支えてくれる大人っているんだってことは、
温かな感情としてうすらぼんやり潜在意識には残ると思うんです。
それが今の私が目指すところです。
社会福祉士になる前は、記憶に残る人でありたい、と思い行動していました。
そしてSSWとなった今は、『記憶に残らない人』を目指しています。
注1 私はSSWを知ったのは平成27年です。
注2 母親から、幼児期は虐待、児童期は無関心で養育される。両親は中卒で勉強嫌い。