スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

寄り添える教員である娘(親バカです)

最近「寄り添う」という言葉をよく耳にします。

私たちスクールソーシャルワーカー(以下SSW)は寄り添いのプロだと自負しています。

 

例えば、登校を渋るお子さんに対し、

先生たちのほとんどは登校させるにはどうしたらいいかを考え行動します。

ですので、「学校来いよ。」や「教室行こうよ。」という声掛けになりがちです。

一方、私たちSSWは、そのお子さんがどうしたいかを尋ね、

本当の気持ちや考えを知り、保護者や先生たちからも情報を得て、

そのお子さんの『最善の利益』のある選択を一緒に考えます。

なので、場合によっては「学校へ行かなくてもいいよ。」

と声をかけることもあります。

「寄り添う」は「一緒に考える」ってことも一つかと思っています。

 

私の娘は教員をしています。

勤務校に保健室登校するお子さんがいるそうで、

やはり、先生たちのほとんどは教室へ行くよう声をかけているようでした。

娘も少し前までは他の先生と同じような声掛けをしていたそうです。

でも、それに疑問を持ち、その日は教室へ行くことを促さず、

そのお子さんの思いや考えを聞き、肯定的に話を聴き、一緒に考えたそうなんです。

将来「銀○こ」で働きたいと思っていてよくたこ焼きを焼いていること、

だから、勉強に関心を持てないことを話してくれたようです。

娘は、「将来の夢があるなんてすごい!」とその夢を認め、

それが実現するにはどうしたらいいかを一緒に考え、

その子さんは高卒認定はほしいことがわかり、それなら基礎だけ勉強し、

テストも基礎だけは正解するようにがんばれば良いのでは?と伝えたようです。

そして、もし、さらにその先自分でたこ焼き屋を経営したい、となったら、

経営の勉強が必要になってくるかもね、と伝え、

するとその子さんは、「じゃあ、大学、経済学部かな?」と答えたそうなんです。

そして娘は「大学に行けば選択肢は広がるよね。」と伝えたようなんです。

こういったやり取りを聞き、それだけでSSWの私としては、

「寄り添う」ことのできる教員である娘のすばらしさに目頭を熱くしていたのに、

さらに自分の挫折した話もしていたのでした。

親の都合で小6の秋に転校し、それまではなんでもできる子という扱いだったのに、

転校後は何もできない子として扱われ、娘は中1くらいまで荒れていました。

そのときのことを話したそうなんです。

そのお子さんにとっては励みになる話となったと思います。

親である私としては、娘が辛かった過去を乗り越えたから言語化することができ、

お子さんに伝えられたんだと解釈し、娘の成長に思わず泣きそうになりました。

そして、「あなたきっとイイ先生になるよ!母、孫は諦めた!先生として頑張れ!」

と娘に言うと、「いやいや、そこ諦めなくていいから、私が諦めたくないし。」と、

これも親としてはありがたい答えが返ってきました。

 

きっと、若い先生たちは可塑性が高く、

どんどん寄り添える先生に変われるんだと思います。

寄り添える先生が増えることで、

学校における子どもたちの居心地は良くなると思うのです。

自分の勤務する若い先生たちと協働することで、

子どもたちの環境をさらに良くしていきたい思いでいます。