スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

ヤングケアラー

昭和初期はヤングケアラーが当たり前

ヤングケアラーは最近使われるようになった言葉だと思います。

家事や育児などを過度に手伝わされている子どものことを指します。

戦後くらいまでは、子どもが多くの家事を担うのは当たり前の時代でした。そうしないと家族が生きていけなったからだと思います。

私の父も、中学生の時母親が作った豆腐を町に売りに行き家計を支えていた話をしていました。私はこの話を聞いて実感できず、日本昔話のようだと思ったことを今でも覚えています。

昭和40年代日本は豊かになり、家族が生きていくために子どもが手伝わなくてはならない時代は終わりました。

しかし、今、過度な手伝いを強いられている「ヤングケアラー」は存在します。

Aさんはヤングケアラー

私が定期的に面談しているAさんもヤングケアラーです。

兄弟に重度の障碍者、母親は精神疾患を含む諸々の疾患があり働けず、姉がバイトで家計を支えています。Aさんは家事や家族の世話に加え、10匹以上いるペットの世話もしています。

一度、「家に帰りたくない。」と言ったことがあり、子ども家庭課職員とじっくり話したことがりましたが、結局家に帰ることを選択し今に至ります。

私と面談するようになり、「一人暮らし」を目標に学校生活を頑張っていこうとその気持ちを大事に育てていました。

しかし、母親がかなり調子が悪くなり入退院を繰り返すようになり、Aさんの気持ちは変化しました。「自分が家族を支えなければならない。」と。

Aさんは心優しいお子さんです。不調の母を置いて出ていくことは考えられなくなったようでした。

子どもの最善の利益は?

私は社会福祉士として、Aさんの思いを尊重し、思いに沿った支援をするのが私の仕事、と頭ではわかっているけれど、これって「ヤングケアラー」だよね?と思うと、Aさんのこの思いを尊重するのは違うのでは?という気持ちも湧いてくる、そして、私たちが一番大事にしなければならない「子どもの最善の利益」は何なのか、今も答えがみつかりません。

支援者の姿勢として、いつも「私は何もできない、できると思ってはいけない」を心に留めています。でも、本当に何もできないという現実が目の前に現れると、自分自身のエネルギーが下がっていくのを感じています。「支える」ことの難しさを改めて感じています。