スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

ヤングケアラーシンポジウムに参加して

ハッとした言葉

「虐待する気で産んだわけではない」

これは、ヤングケアラーのお母さんがおっしゃった言葉です。

支援者として頭の片隅に置いていたつもりではありました。

しかし、改めて当事者が伝えてくださることでハッとさせられました。

もう一つハッとさせられた言葉があります。

ヤングケアラーだった方が、

「支援者に、あなたはあなたの人生を生きていい、と言われて、は?と思った」

です。私は同じような言葉を自分の支援するお子さんに伝えた事があります。

は?て顔はされた記憶がないけれど、そう思っていたのかもしれない、

と反省しました。

私もヤングケアラーだった

広い意味で捉えるなら、私もヤングケアラーだったと思います。

私の母は育児が下手な上、人付き合いも下手な人でした。

なので、本来なら大人同士で話すような愚痴を子どもの私に話すのです。

つまり、母の精神的ケアをしていました。

高校生になった私は、やっと、

なんでそんな話を私にするんんだ!と反発することができました。

しかし、返ってきた答えは、半泣きになりながら「あなたしかいない」でした。

精神的ケアをしているAさん

Aさんは、過去の私のように母親の精神的ケアをしています。

しかし、Aさんは自分がヤングケアラーだと微塵も思っていないと思います。

それが当たり前の日常だからだと思います。

そして、私のようにある程度大きくなってから何か思うのかもしれませし、

思わないままなのかもしれません。

第3者から見てヤングケアラーに見えても、

Aさんが苦に思っていないのならそっと見守るのも支援で、

もしかしたら辛いって言ってくるかも、

と頭の片隅に置いておくのも支援だと思っています。

多くの家事をするBさん

一方、Bさんは、多くの家事をこなし自分はヤングケアラーと気付いています。

しかし、保護者さんはその意識はないことにBさんは歯がゆさを感じていました。

そして、家から離れたい、を口にしました。

Bさんを穏便に家から出すために、子ども家庭課や他の外部機関と連携しました。

実際家を出たら過ごす場所になる施設を見学すると、

Bさんは家を出ることを自分の意思でやめました。

ヤングケアラーの支援の難しさ

Bさんの支援について、自分では出ていくことが最善と思っていただけに、

結果にショックを受けました。

そこで気づきました。

Bさんのため、と思って支援していたけれど、

自分の理想のレールにBさんを乗せようとしただけだったのではないか、と。

そのお子さんの本当の思いは何なのか、

自分の思いは無にして徹底的に思いを聴くこと、

社会福祉士としての基本姿勢が抜けていたことを反省しています。