スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

安心感を与えられる人でありたい

 

 

安心できる人や場所

学校で子どもに関わる大人たちは「子どもや保護者に安心感を与えられる人」であらねばならないのではないか、と私は思っています。

安心感があれば子どもは学校にきますし、保護者も「行きなさい。」と言うことができます。

学校がそのお子さんにとって安心できる場でないから、「居場所」があちこちにできているのかもしれません。

まずは家庭が子どもにとって安心できる場であることが理想ですし、ほとんどのお子さんにとってはそうであると思います。

しかし、すべてのお子さんがそうであるとは限りません。

そういったお子さんのためにも、すべてのお子さんが行く権利がある学校が、安心感を与えられる場であるとよいと思っています。

Dさんの不安

校内を見回っているとき、立ち止まって見ていることもあります。その方が子ども達は話しかけてくれます。

「誰?」と聞いてくるお子さんには、「みんなが笑顔で学校来れてるかな?って見て回って、困っている子の話を聴く人だよ。」と答えます。

話しかけてくれたDさんは

「最近嫌なこと思い出す・・・。」

と急に暗い顔になり、それについて話し始めました。

私は「思い出しちゃったんだ・・・」と受容的に聴きました。

話題が変わり、「昨日寝れなかったんだ・・・。」とDさん。

私は昨夜強風だったことを思い出し、「あぁ、昨日の夜は風強くて怖かったよねぇ。でも、今日は大丈夫そうだよね。」と伝えると、「うん!」と元気に言い、表情がぱあっと明るくなり、その場を去っていきました。

安心感を与えられる人でありたい

Dさんはきっとこの話をおうちの人に聞いてもらいたかったんじゃないかな?と思います。

今どきの大人たちは忙しくしていますので、きっと話したくとも話せなかったのでしょう。

Dさんの話は大人からすると大したことではないようにも思います。

でも、Dさんにとっては表情が暗くなるほどのことなんだと思います。

この小さな傷つき体験を矢にたとえた心理学の教授の話を聴いたことがります。

その話は、小さな傷つき体験は見過ごされやすいのでケアされず矢は刺さったまま、大きな傷つき体験はわかりやすいので矢を取り除きその傷を治そうと周りの配慮が得られる、小さな矢はケアされないままどんどん増えていくと大量の小さな矢があるところに致命的な1本の小さな矢がその人を動かなくさせる、というものだったと記憶します。

Dさんの話は、小さな矢だな、と思いながら聴いていました。

私は、矢を抜いて絆創膏を貼るくらいまではできたかな、と思っています。

また、長年定期面談している保護者さんに「今日はそんなに話すことないんですけど、ヒロさんの顔見に来ました。癒されるので。」と伝えていただき、安心感を与えられたことを証明してもらえた気持ちになりました。