スクールソーシャルワーカーのひとりごと

守秘義務に配慮して綴っています

「公認心理師受験→不合格」から得たもの

受験姿勢の甘さ

第5回公認心理師をひっそり受験しましたが不合格でした。

第5回までは実務者への措置ということで、大学院で学んでいなくても受験でき、私にとって最初で最後、実務者の受験資格に「実務が5年以上」というのがあり、それを満たすのが第5回目だけだったのです。

とはいえ、過去小学校で特別教育支援員だった分が実務と認められれば、第4回も受けられたかもしれません。

でも、それを調べるのも面倒、かつ、その気力もなかった、そこまで前向きではないけれど、せっかく受験資格があるし、過去、スクールカウンセラー(以下SC)を目指して心理の勉強をした分、その後も細々と学んできたことの集大成として肩書を得たくなった、そんな気持ちもありました。

こういったそもそもの本気度が足りなかったこともあっての結果のように思います。

もちろん、本気度が足りなかった、のは振り返って思うところであり、もちろん合格するつもりで受験勉強に取り組みました。

過去問は5回以上繰り返したし、模試も二つ受け、当日の対策も練って、私の脳みそはむくんでいるんじゃないかと感じるくらい、とりあえず入る分の知識は入れたつもりです。

それでも受からなかったのは、私にとって必要ないから、持っちゃいけないものだからと捉えるようにしました。

実は心理師に再挑戦だった

思い返すと、受験しよう!と思った時点で自分の人生の選択としては間違っていたと思います。

私はそもそもは小学校の先生になりたかったので、教員免許を取得し先生になりました。

いろいろな状況が先生を続けることを難しくし、でも、学校で働きたい、そして、困っている子の助けになりたい、とSCを目指した時期がありました。

子どもが3人とも小学生になったころ、大学に編入し心理を学び始めたのです。しかし、その途中で休学を余儀なくされたのは、またもや置かれた状況。夫の海外赴任が決まり帯同することになったのです。

このとき、私が心理師になるのは違うよ、ってことなんだな、と納得し、その後偶然SSWという仕事に出合い、これが自分が求めていた仕事だ!って思い今に至るのだから、今更逆戻りする必要なんてなかった、と思います。

でも、それでも挑戦したいと思ってしまうのが自分らしさかな、とも思うのです。

挑戦してしまうからこその挫折、苦しみ、つらいとわかっていながら向かって行ってしまう、それが自分なんだな、と今は受け入れられます。

敢えて「環境・巡り合わせ」のせいと言いたい

そして、一番ダメだったな、と思うのが、SSW仲間で公認心理師となった人をうらやましく思い、自分もそうなりたいと思ってしまったこと。

自分軸でその選択をしたというより、他者との比較の中で欲張りになっていたことです。

また、スクールソーシャルワーカー(以下SSW)としてその専門性を高めたいと日々学びながら活動していく中で、さらに心理の知識も入れる、というのは私にとってキャパオーバーだったと思っています。

キャパオーバーなところに追い打ちをかけるかのように、仕事上で裏切られた思いになるような出来事が起きました。この出来事が起きたのは受験5日前。

心を整えられないまま受験を迎えた当日、まずは、受験生が時間内に入室できず開始時間終了時間が変更、午前の受験問題しょっぱなから今までと全く毛色が異なる問題、気を取り直して午後開始後数分後に同室の方が倒れ担架で運ばれる、と心乱される出来事が次々と起き、人一倍試練を与えられている気持ちになりました。

心理学的に言えば、これは私のレジリエンスの問題、と自己責任ってことになるんだろうな、と思います。

でも、私は、自分の弱さだけのせいにしたくない、言い訳でなく、社会福祉士として環境要因もあることに焦点を当てたい、そう考えると、私はやっぱり心理師ではなく、福祉職として対人支援がしたいし、今後もそれは変わらないことに気づきました。

得たものの一番は「経験」

肩書は得られなかったけれど、私は何も困らない、というと、強がっているように聞こえてしまうかもしれませんが、それが現状です。

公認心理師を所持できたとしても、やっぱり私はSSWを続けていくと思うからです。

また、受験勉強をする中で出合えた新たな知識や言葉が私の知見を広げ、SSWとしてさらに自信を持って活動できるようになりました。

学んだこと、そして、不合格となり落ち込んだことも、すべてが経験として今後に生きる、と今は思えます。

不合格とわかったときはもちろんこんな風には思えず、消えてしまいたいくらいのどん底でした。

悔しいし、悲しいし、申し訳ないし、恥ずかしいし、情けないし・・・。

そんなどん底から這い上がれたのは、寄り添ってくれた仲間や家族がいたからです。

普段は私をこき使う息子がただただ優しく接してくれたこと、一緒に悔しがってくれたSSW仲間、私のFBの投稿に反応してくれた方々・・・。

「人はどん底にいるとき励まされることがつらい」を体験できたこと、「寄り添ってもらうことの心地よさ」を体験できたことが、福祉職の私にとって合格よりも大事な宝物になりそうです。